新人オペ看がつらいと感じた瞬間【辞めたいと思った理由と今だから言えること】

毎日違う術式を予習し、当日担当した手術を復習する日々。

頭がパンクし、負の連鎖で先輩方に怒られ続け、

「自分はなんてできないんだ」と責め続けるのが辛かったです。

当時の職場の状況をざっくりまとめました。

  • 1日2から3件を担当。手術件数は多い方。
  • 先輩は優しい方もいれば、厳しい方もいた。
  • 教育体制はチューター制で、新人1人に1人先輩がついてくれる。
  • 手術の流れは単純なものがほとんど(簡単な手術からつかせてくれたと思われる。)
  • 器械の下準備など、皆で協力してやろうという雰囲気。

私がこの仕事辛いなと思った瞬間はいくつかあります。

  • わからない(不安)な部分をその場で聞くことができなかった。

私の教育係の先輩が何度も教えてくれない方で

「さっき言ったよね?なんで覚えてないの!」と高圧的だったため、

質問することが怖かったです。

  • 担当する手術の難易度が段階を踏んでいなかった。

私の他にも同期の新人がおり、難易度が前後することがありました。

また、手術の取り合いになることもあり、

段階を踏んでステップアップすることが難しかったです。

  • 術式を覚えていっても、手術が中止になり、勉強が実践できずに終わる。

手術が中止になるのは仕方のないこととはわかっていますが、

せっかく覚えていったものが実践できずに終わり

『覚えるの大変だったのに無駄だったな』ととても残念でした。

また、一度手順を教えてもらったものはどれだけ期間があいても

2回目は教えてくれないという教育体制で、

段階を踏まない私の手術の順番だととても大変でした。

上記の点から、私は負の連鎖に陥り、先輩に相談もできず、

「辞めたいな」というのが頭をよぎり始めました。

自己嫌悪になり、職場に行くのが辛くなり、トイレで涙を流す日もありました。

だんだんそういう日が多くなり、私の負のオーラを感じたのか、

他の先輩方ともだんだん上手く関われなくなっていきました。

そして初めて入る科の手術で、初めて会う医師がいました。

その人は先輩達の間で1、2を争う問題児だったのですが、

その人と手術した時に心の糸が「プツッ」と切れてしまいました。

圧をかけるように捲し立てるように器械の名前を早口で要求してきて、

違うと「違うじゃん、バーカ」とおちょくってきました。

勿論違う名前の器械を渡した自分も悪いですが、

それよりも

『なんでこんな人のために、器械を渡さなきゃいけないんだろう。

勉強してるのがバカみたいじゃん。』

という考えの方が勝ってしまいました。

その日を境に私は仕事に行けなくなりました。

家を出る時に嘔吐したり、仕事に行くと考えると熱や咳が出たり、

看護の業界は風邪に厳しいので、当時コロナが流行っていたために、

ストレス性の咳や熱でPCR検査を受けに行きました。

メンタルクリニックに行って適応障害の診断を受けました。

同期に心配されながらも”休職”の選択をしました。

休職中に私は休養はもちろんのこと、休むきっかけとなった医師や先輩に会いたくなかったので、転職活動をしました。

昔からもともとやってみたかった仕事がひとつあり、今はいいタイミングなのではと考え、それに応募して受かりました。今も楽しくその仕事を続けています。

看護師はブランクにはなるものの、生涯使える資格なので

また再チャレンジしたくなったら頑張ろうと思います。

まず、適応障害の診断を受けてすぐ休養できた自分を褒めたいです。

もしそこでさらに頑張っていたら、一生服薬していたり、

うつ病になったりしていたかもしれません。

自分の心より大切な仕事はありません。

もし今私と同じ境遇の方がいるのであれば、是非、自分のことを大切にしてあげてください。

また、私は転職エージェントを使って話を聞いたことで、

自分のいた職場がブラックであったことを知りました。

職場外の人の意見を聞いてみると、案外参考になります。

私も休職や転職のきっかけを与えてくれたのは、職場の外の人間でした。

もし外の人間がいないという方は私に話てくださいね。いつでも待ってます。

ここまでご覧いただきありがとうございました🐑

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